倒立振子の動きに心を奪われてみる

逆倒立振子?
倒立振子(Inverted pendulum) トウリツシンシと読むらしい。



走・歩行動作そのものや、身体のどこかの部位の操作に意識を向け過ぎてしまうと、どうしても無駄な力みのある動作になってしまう。

これは「走るための走り」、「歩くための歩き」をしているからではないだろうか?

力みを抜こうという意識が反対に力みを生んだりもする。

力みがある状態というのは常に力を(無駄に、一定方向に)発揮している状態?

理想的な状態は、いつでも(必要な方向に)力が発揮できるニュートラルな状態?


複数人で走・歩行し、競い合いや、会話に心を奪われている間は特定の動作そのものに意識が向くことによる無駄な力みが無くなったり、減ったりする。

一人の場合にどうするか…



首から始まる力みは全身に連鎖し、足裏の痛みを皮切りに全身動作の不具合を誘発するように思う(裸足の良さは足裏の痛みの時点で不具合に気づくことが可能である事)

首が力むと、頭(頭部)が首の筋肉で固定された状態になる。


ある日、歩いている最中に首の力みに気づいた時の事。

ああ、またか…と、首を弛めた。

その瞬間、あの動作感覚になれば首をニュートラルに保ち易いのではないか?という思いが頭に浮かんだ。

子供の頃に傘や箒(ほうき)で遊んだアレ。

傘を空間に動的に固定しようとするような動作。

自分の身体を傘と手の関係に見立てる感じで動く。

この動作に意識を奪われると、脱力の意識無しに無駄な力みを減少させ易い。

実際の身体には関節も多数あり、動きは遥かに複雑なのだが、先ずはシンプルに感じてみるのが良いかも知れない。

この動作(遊び)は走・歩行中でも、ただ立っている時でも、座っている時でも出来る。

上記の動作は上半身の動きが主のようである。

上記の動作を上下反転させて下半身の動作として捉えることも出来ると思う。


上の棒(上半身)を押された時の下の棒(下半身)の動きは踏ん張らない動き?

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